もりもりです。
数字にまつわる偶然の一致は、世の中ではよく起きています。
例えばある数字や特定の数字の組み合わせを、なぜか何度も目にしたり、またある数字が何らかの不思議な偶然を招いたり・・・・・。
これからお話することは、単なる偶然か、それとも何者かの意思なのか。
あまりにも奇妙な一致に、一家は身震いした。
(出典元:科学では解明できない奇妙な話より)
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思いもよらず事故
その事件の発端(ほったん)は、まず1982年6月10日に、アメリカの警察官ロン・キングの身の上に起きた出来事が最初だった。
この日、警察の仕事が非番だったロン・キングは、隣の州の小さな町でひとり住まいをしている母親を訪ねた。
ロンは久々に親孝行をして、その後バーボンを飲んで1時間ほど休ませてもらった。
そして起きた後、さらに2時間ばかり母親と昔話をして時間を過ごし、すっかり酔いが醒(さ)めたところで、やっと帰路についた。
彼は帰路を急いで自動車を運転し、なんとか午前1時ごろには州境まできた。
「ここまで来れば安心だ。もう自宅まではわずか1時間ほどだ」
ロンはようやくホットした気持ちになった。
まだあたりは暗闇で真っ暗だが、しかしここから道路はほぼ一直線だということを、地元の彼はよく知っていた。
やがてロンは無事に州境を越えた。
するとホットした気のゆるみもあって、ここに来て急に睡魔(すいま)が襲ってきたのだ。
「これはまずい、何だか急に眠くなってきた」
彼は睡魔に襲われて、ふとハンドルを切りそこなった。
すると次の瞬間、急に彼の運転していた車はダートに突っ込み、彼の車はいきなり横転してしまったのだ。
キュルキュル、ドカーン!
「うわーっ、助けてくれ!」
こうしてロンは、思わぬ大惨事を引き起こしてしまった。
彼が事故に遭(あ)った時刻は、午前1時30分だった。
ところが幸運にも、そこへ偶然ほかの車が通りかかった。
「ああっ、大変だ。自動車が転倒したぞ!」
「おいっ、ただちに救急車を呼べ!」
ロンは偶然通りかかった運転手により、助けられることになった。
すぐにハイウェイパトロールに通報され、すぐさま救急車が駆けつけてくれたのだ。
「おい大丈夫か、助けに来たぞ!」
「ううっ、よかった。俺は助かったのか?」
こうして彼は救急車で病院へ運ばれていき、応急処置をしてなんとか助かったのだった。
しかしロンの怪我(けが)はやはり重症だった。なにしろあごの骨が折れ、胸を強く打ったために、肋骨(ろっこつ)も数本折れているという悲惨な状況だった。
それでも不幸中の幸いというか、命に別条がなかったのが救いであった。
「ううっ、恥ずかしい。警察官の身でありながら、こんな事故を起こすとは」
彼は自分が模範(もはん)となる警察官の身でありながら、不覚にも事故を起こしてしまったことに対し、深く反省し屈辱感(くつじょくかん)を味わっていた。
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第2、第3の惨事
やがて、こうした悲劇もすでに忘れかけていたその2年後に、またしても不幸が起きた。
1984年6月10日の午前1時30分、ちょうど2年前に父親のロンが事故に遭ったのと同じ時刻に、今度はロンの息子が事故に遭ったのだ。
ロンの息子ピーターは、皮肉にも父親が事故に遭ったときと同じ車を運転していた。
ピーターは、骨折はまぬがれたが、父親と同じあごの下を大きく切り、その傷跡がずっと残ることになったのだ。
不思議なことに、ロン・キングと彼の息子ピーターは、じつに2年違いで、同じ6月10日の午前1時30分に、同じ車に乗っていて、しかも同じように顔のあごの部分に怪我を負ったのだった。
ところがこうした悲劇は、その後、まだ続いた。
驚くべきことに、またしてもその2年後に、今度はロンの娘が事故に遭ったのだ。
ロンの娘のジュディは、家の庭で遊んでいたときに、ふとした拍子(ひょうし)で転んでしまい、不幸にもあごの下に大きな怪我をしてしまったのだ。
しかもその日は、偶然にも父や兄が事故に遭い、あごに傷を負ったのと同じ6月10日だったのだ。
つまり父と息子、さらに娘というロンの家族3人が、2年後のいずれも同じ6月10日に怪我をして、しかも3人とも偶然にあごに傷を負ったのだ。
これはなんと不思議で、しかも奇妙な〝偶然の一致〟の一致の出来事だろうか。
まとめ
6月10日に3度も家族に起きた惨事。
偶然が3度も起こる確率は?
ただの偶然だったのだろうか?
今日も読んでくれてありがとうございました。
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