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古代エジプト人はなぜ亡骸をミイラにしたのか?旅路の手引書『死者の書』とは?

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もりもりです。

人類は、「死後の世界」をどのように考えてきたのか?

死後の世界については、宗教観やそのときの時代や国において考え方の違いがあるでしょう。

では、古代エジプトでは死後の世界をどのように考えていたのでしょうか?

古代エジプトは、王家の墓標であるピラミッド、そこに鎮座するスフィンクス、王族が死後の世界で使うための副葬品、そして死者の姿を今に残すミイラ。

紀元前3000年頃から今に残る〝死の形〟なのである。

最後まで読んでくださいね。

<出典元:眠れないほど面白い死後の世界>

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人は死ぬと新しい世界に生まれ変わる

古代エジプト人は〝死後の世界〟を信じていた。

彼らは「人は死ぬと新しい世界に生まれ変わる」と考えていたのです。

古代エジプトの人々は、人間の体は「肉体」「名前」「形」「パー」「カー」の五つの要素で構成されていると信じていた。

パーとは、人格を構成する「魂」、カーとはその人の生命力ともいうべき「分身」である。

古代エジプト人は、この五つの要素がそろわなければ、新しい世界では生きられないと考えていた。

カー(分身)は人が死んだ後も、肉体がミイラとして保存されていれば、そこにとどまっていると考えられていた。

つまりミイラという肉体がなければ、カー(分身)は行き場を失ってしまう。

つまりは復活できなくなってしまうと」いうことだ。

王族や貴族しかミイラになれない?

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調べてみよう!〜時代解説(じだいかいせつ)〜 - 全国こども ...kids-kouko.com

※『紀元前』と『紀元後』は“イエス=キリストの誕生”が基準になっています。
紀元前 (きげんぜん) は、紀年法において紀元(元年、すなわち1年)よりも前の年々を表現する方法。紀元1年の前年が紀元前1年であり、過去に遡る度に紀元前2年、紀元前3年…と、数値の絶対値が増加します。

 

古王国時代(紀元前2650~紀元前2200年)には〝生まれ変わり〟王族や貴族のような限られた人にしか許されなかった。

しかし時代が進み、中王国時代(紀元前2050~紀元前1780年頃)になると、一般の人たちもミイラにしてもらえるようになってきた。

もっとも、現在にもそのままの姿で残るような上等な姿のミイラ化は、庶民には手が届かなかった。

 

王族のミイラともなると、腐敗させないために、特殊な薬品や方法、呪文が用いられていた。

そのため、作るには莫大な資金が必要だった。

 

庶民のミイラは簡単な防腐処理が施されたにすぎなかったようだが、それでも〝ミイラ産業〟は活況だったという。

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死者の書には、いったい何が書かれているのか?

さて、人が死ぬと、肉体からバー(魂)が抜け出し、人間の頭を持った鳥の姿になって死後の旅へと出発する。

 

この旅路の手引書が、有名な『死者の書』だ。

この『死者の書』に書かれている内容を簡単にいうと、王族の葬儀の際に、死者の魂が無事に〝新しい世界〟にたどり着けるよう、かつて神官が唱えていた呪文だ。

 

それを時代の流れとともに、一般の人々が死後、それぞれの用途に応じて使うことができるよう、葬儀の概要や挿絵とともにパピルス(カミガヤツリの茎の線維で作った紙)におとし込んだのだ。

ちなみにこの『死者の書』全百九十章あるという。

これまでに、二万五千点以上発見されているというが、見つかっているのはその一部が欠けたものばかりで、完全な中身はわかっていない。

それでも、その〝死後の旅〟の様子を知るには十分だ。

 

この旅路では、死者のバー(魂)を食べようとする、へびやワニなどの猛獣や悪霊、横たわる大河など数々の困難が死者に襲いかかってくる。

その際にとるべき行動や唱えるべき呪文などが『死者の書』

には詳しく述べられている。

つまり、このパピルスさえあれば、新しい世界の入り口まで容易にたどり着くことができるのだ。

最後の試練

さて、この旅のハイライトは、なんといっても冥界の番人、アヌビス神に導かれ、自分の心臓を天秤(てんびん)にかけられ審判を受ける最後の試練だろう。

心臓と一緒に秤(はかり)にかけられるのは、真実と正義の女神であるマアト神の象徴でもある「羽」だ。

誠実で曇りのない生をまっとうした魂であれば、この天秤が見事につり合う。

しかし、心臓がこの羽よりも重く、ガクンと下がってしまった場合は、秤の傍(かたわ)らで待機している怪獣・アムミットに食べられてしまう。

 

ここで怪獣に心臓を食い尽くされると、二度と復活することはできない。

二度と復活することはできない。

そればかりか、ツアトと呼ばれる地獄に落とされ、暗闇の中で未来永劫苦しまなければならない。

そのため、信心深い人々は必死で修行を積んだ。

さて、心臓と羽根がつり合った後も安心はできない。

続いて広間に通され、四十二神の神々の名称を答え、三十八にもおよぶ自らの潔白を申し立てなくてはならない。

そのようにして、ようやく楽園での「復活」が許される。

明るく美しい場所で、何不自由なく、好きな人と現世の「生」の続きを楽しめるのだという。

ただし、この楽園での生活も、地上にあるカーと、カーのよりしろであるミイラがあってこそ成り立つ。

そのため、遺族はカーが餓死しないよう、常に墓に食べ物や飲み物を供え続ける必要があった。

 

この供物を捧げる方法は、各時代で苦心したようである。

もっとも、古代エジプトのこれらの信仰は、時代が下るにつれキリスト教の弾圧に遭い、三世紀頃には消滅してしまう。

 

現代のエジプト人の多くはイスラム教徒かキリスト教徒で、「死者の書」にある世界観は遺跡からでしか、うかがいしれない。

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最後に

古代エジプト人は、生まれ変わりを信じていた。

肉体がなくなれば、魂が帰る場所がなくなる、そのためには亡骸をミイラにする必要があったというわけです。
今日も読んでくれてありがとうございました。