もりもりの神秘情報

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5度も難破に遭遇し生還した船員が10年ぶりの母と再会した奇跡の話!

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もりもりです。

この話は、1829年10月のわずか10日あまりの間に起きた出来事で、別れた親子の愛情が引き起こした、奇跡的な物語なのです。

 

このときの出来事は、オーストラリアのキャンベラにある連邦海運局に記録が保管されています。

またロンドンのロイド汽船会社にもちゃんと記録が残されています。

 

22人の乗組員を乗せてマーメード号は出港した。

奇妙な偶然に操られた旅の始まりだ。

(出典元:科学では解明できない奇妙な話より)

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最初の難破

1829年10月16日、イギリスの快速帆船(かいそくはんせん)マーメイド号は、船員のピーター・リチャードソンを含む22人の乗客を乗せて、オーストラリアのシドニー港を出港した。

 

 マーメイド号の行き先は、同じオーストラリアの西海岸のラッフルズ湾だった。

 

 さてシドニー港を出港してから4日目、マーメイド号はトレス海峡にさしかかったところで、運悪く大波に襲われてしまった。

 

 そして不幸にも、船は暗礁(あんしょう)に乗りあげてしまい、あっという間に粉々に砕けて壊れたのだった。

「うわー、船が座礁(ざしょう)したぞ!危険だぞ、みんな避難しろ」

 

 砕け散ったマーメイド号の乗組員たちは、無惨(むざん)にも荒波の中に投げ出されてしまった。

「おいっ、みんな。あそこの岩までたどり着くんだ!」

 

 彼らは夢中で泳ぎ、なんとか海上に突き出ていた岩までたどり着いた。
幸いにも乗組員は全員無事だった。

 

 しかしその後、なかなか救援もなく、またほかの船も通らなかった。

 

「弱ったなあ、なかなか助けがこないぞ」

 

 そこでしかたなく難破した乗組員らは、じつに3日間のあいだ、その岩にしがみついて必死で救援を待ち続けたのだ。

 

 やがてその後、そこを通りかかった小帆船スイフトシュア号により、この乗組員22人は全員無事に助けられた。

 

「やった、助かったぞ!」

「いやあー、本当によかったな」

 

 助けられた彼らは、こうしてたがいに喜びあった。
しかし、その彼らの喜びも、またつかの間であった。
じつはその2日後、このスイフトシュア号は強い海域に巻き込まれ、浅瀬に乗りあげてしまった。

 

「これじゃ、もう船はだめだな」

「くそー、またもや難破かよ!」

 

 彼らは不幸にも、2度目の難破に遭遇することになったのだ。

「しかたない、みんな覚悟を決めろよ。いいか、あそこの海岸沿いまで泳ぐぞ」

 

 彼らはしかたなく船を捨てて、かろうじて近くの海岸まで泳いだ。

 

 こうしてマーメイド号とスイフトシュア号の乗組員32名は、なんとか全員無事に避難できたのであった。

 

次々と降りかかる災難

 それから3時間後に、彼らはちょうど付近を通った快速帆船ガバナー・レディー号に発見され、やがて全員が無事救出されたのだ。

「よかったな、今度はすぐに助けられたぞ」

 

 彼らはこのガバナー・レディー号に助けられて、ほっとしていた。

 

しかし彼らの安心も、ほんのつかの間のことだった。
じつはこのガバナー・レディー号には、材木が積まれていたのだが、なぜかその材木から火災が起きてしまい、あっという間に船内にその火が燃え広がっていった。

 

「おいっ、船が燃えているぞ!」

「これは大変だ、急いで船長を呼べ!」

 

 しかしながら、すでに手遅れであった。
やがて船内は炎に包まれていった。

「みんな!炎に包まれ前に、ボートで逃げるんだ!」

「なんてこった、またかよ。俺たちは、まったくついてないぜ”!」

 

 こうして彼らは、せっかく助かってからわずか3時間後に、今度は火災で船を失ってしまった。
彼らはまたしても、3度目の難破に遭遇したのだった。

 

 こうして船を火災で失った彼らは、必死に救命ボートに乗り移り、なんとか全員が無事に脱出することができた。
そして気がつけば遭難者は、3つの船の乗組員をあわせて、総勢64人の人数に増えていた。

 

 彼らのボートは、しばし太平洋を漂流(ひょうりゅう)した。
しかし、すぐにオーストラリア政府のカッター船、コメット号に救出されたのである。

「ああっ、よかった。助かったぞ」

 

 彼らは、なんと強運なのだろうか。
しかし救出された彼らの心は、なぜか不安に満ちていた。
それも当然だろう。
なにしろ彼らは、これまでにも救出されては、また難破を繰り返しているのだから。

「おいっ、今度は大丈夫だろうな」

「まさか、俺たちは助かったばかりじゃないか。余計なことを言うなよ」

 

 彼らは、今度もまた難破するのではないかと、内心では不安になっていた。
だが皮肉なことに、こうした彼らの心配が、またしても現実になってしまったのだ。
じつはその後、彼らの不安通りにこのコメット号は嵐に遭遇してしまい、やがて転覆(てんぷく)してしまったのだ。

 

「うわーっ、船が転覆したぞー!」

「みんな、海へ飛び込め!」

「おい、またかよ。まったく、なんで俺たちばかりがこんな目にあうんだ」

 

 こうして、彼らは、またもや嵐の海に投げ出されてしまった。
なんとまあ悲惨なことに、彼らはこれでじつに4度目の難破に遭遇したのだ。
しかも今度は船が急に転覆したので、彼らは救命ボートに乗り移るひまもなかった。

 

 しかたなく彼らは、船の残骸(ざんがい)である帆柱(ほばしら)や木片につかまり、無事にこの危機を逃れた。
それでもかろうじて、全員が助かったのだ。
そして彼らは、ひたすら次の救助を待ち続けた。

 

 やがてその18時間後、今度は郵便船ジュピター号が近くを通りかかり、ふたたび彼らは全員が救出されたのだ。

 

「ああっ、よかった。今度こそ助かったぞ」

 しかし、せっかくこうして、救出されたにもかかわらず、やはり彼らは内心では不安を隠せなかった。

「しかし待てよ、またこの船も難破するんじゃないかな?」

「ううむ、そうかもしれん。なにしろ、何度も難破したやつばかりだからな」

「おい俺たちなんか、もう4度も難破してんだぜ」

 

 彼らはこうして、しだいに不安な気持ちになっていた。
そして皮肉にも、またしても彼らの不安が見事に的中してしまった。
彼らがこのジュピター号に乗って、やっと一息ついたのもつかの間、今度はなんと船が座礁(ざしょう)し船底に大きな穴が開いてしまったのだ。

 

「船に穴が開いたぞ!みんな逃げろ」

「おいおい、またかよ。誰か死に神でも連れ込んだのか?」

「いいから、早く船から逃げろ!」

 

そうしているうちにも船内に海水があふれて、船は沈んでいった。

「おいっ、あそこに岩礁(がんしょう)があるぞ。みんなつかまれ!」

彼らは沈んでいく船から逃れて、泳いで近くの岩礁までどうにかたどり着いたのだった。

それにしてもなんと悲惨なことであろうか、彼らはこれで5度にもおよぶ難破に遭遇しているのだ。

 

 しかも、これだけ何度も難破に遭遇しながらも、不思議なこと全員が無事であった。
そして遭難者の数は、すでに総勢128人にも膨(ふく)れ上がっていた。

 

救出された船員に奇跡が起きた!

さてこうして助けを待つ彼らのもとに、今度はイギリスの客船シティ・オブ・リーズ号が通りかかり、彼らを無事に救出してくれたのだ。

 

「また助かったぜ。まったく俺たちは、ツイているのか、それともツイてないのか、いったい、どっちだろうか?」

「まあ、いいじゃないか。とりあえずこうして助かったんだから」

 

 こうして彼らはまたしても救出され、とりあえずはひと安心していた。
そして彼らは、シティ・オブ・リーズ号の甲板(かんぱん)の上で、今まで5度も遭難した難破の信じられないような悲劇とさらにすぐに助けられるという強運、そして全員が助かっているという奇跡を、口々に話し合っていた。

 すると、ちょうどそのときだった。

「ちょつとすみませんが、この中に誰か、イギリスのヨークシャー出身の方はいませんか」

 

 こう言って、シティ・オブ・リーズ号の船医のトーマス・スパークスが、声をかけた。
そしてスパークス船医は、今この船に重病の婦人が乗っていることを伝えた。
その婦人はヨークシャー生まれで、今にも息を引き取りそうに弱っており、しきりとうわごとのように、息子の名前を呼んでいるのだとみんなに話したのだ。

 

 そこで誰かヨークシャー生まれの方がいたら、この危篤(きとく)状態の哀れな婦人のために、彼女の息子の役を演じてほしいとの相談だった。

 

 そこで、この息子の身代わりとして、ひとりの船員が名乗りを上げた。
その船員とは、最初から遭難を続けているマーメイド号の船員である、ピーター・リチャードソンであった。

 

 彼はヨークシャーのホイットビー出身であり、その婦人も聞くところ、ホイットビー出身だとのことだった。
意外とこの身代わり作戦は、うまくいきそうだったのだ。

「ところでスパークス船医、私はなんと名乗ればいいのでしょうか?」

「ああそうだったな。ええとたしか、彼女の息子の名前は、ピーター・リチャードソンだったな」

 

  スパークス船医がこう言ったので、彼は思わずびっくりして声を上げた。

「ええっ、本当ですか。ピーター・リチャードソンですって!」

「ああそうだよ、それがどうかしたのかね。そんなにびっくりして、もしかして君の知り合いかね」

「スパークス船医、もう身代わりは必要ありません。なぜなら私がそのピーター・リチャードソンだからです。」

「それは本当かね?まさか本物がここにいたなんて。これは驚いた!」

 

 まさに事実は小説よりも奇なりだったのだ。まさか、息子の身代わりを演じようとした人物が、じつは本物の息子だったとは‥‥‥。
これにはさすがに、その場にいた乗組員たちも驚いた。

「おいっ、こいつは凄(すご)い。聞いたか、本当の親子が感動のご対面だ」

 

 これはなんと不思議な偶然であろうか。その重病の婦人とは、本当にリチャードソンの母親だった。

 

 こうして不思議な運命のめぐり合わせにより、離れ離れになっていた母と息子は10年ぶりに再会できたのだった。
しかも、こうした不思議な運命の偶然により、やがて彼の母親の病気も奇跡的に回復に向かっていった。
息子が彼女の生きる支えとなり、それが励(はげ)みとなり、彼女はなんとか病気を克服することができたのだ。

 

 ところで、これまでに5度も難破に遭遇した乗組員たちは、その後いったいどうなったのだろうか。

 

 じつは彼らの心配にもかかわらず、この客船シティ・オブ・リーズ号には、もはや災難が降りかかることはなかった。この運命の再会を果たした母子を乗せた客船は、その後は悠々(ゆうゆう)と航海を続け、無事に港に到着した。

 それにしてもこれは奇跡的であり、なんとも不思議な出来事だった。

 

 それはまるで、この親子を引き合わせるために、何か運命的な不思議な力が働いたかのように思えるのだ。
何しろたった1回の航海で、彼らは続けざまに5度も難破に遭遇しながら、しかも全員が無事に助かるとは、ものすごい強運ではないか。

これらの出来事は、果たして神の奇跡の力なのか?

それとも息子に会いたいという、母の一途(いちず)な願いが起こしたシンクロニシティ*1の力なのか?

 

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最後に

今でもこうした信じられない不思議な出来事が、世界中のどこかで起きているのかもしれません。

何度も難破しながら全員が無事生還、最後は母と息子の10年ぶりの再会。

まるで親子を再会させるために、神さまが奇跡を起こしたとしか考えられないですよね。

今日も読んでくれてありがとうございました。

 

*1:虫の知らせのような、意味のある偶然の一致。心理学者ユングが提唱した概念。