もりもりです。
もしも、「あなたは亡くなるでしょう」という死の予言を受けたら。
あなたは、信じるだろうか?
それとも冗談だと信じないか?
そんな「死の予言」をされた国王と王妃に起きた、運命のお話です。
最後まで読んでくださいね。
<出典元:科学では解明できない奇妙な話より(運命の謎を探る会)>
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ノストラダムスから死の予言を宣告
1500年代、フランス国王のアンリ2世とカトリーヌ王妃は、ノストラダムスから『死の予言』を宣告された。
国王のアンリ2世は、ノストラダムスから恐るべき死の予言を宣告された。
ノストラダムスは、みなさんもよくご存じの、『ノストラダムスの大予言』で知られる預言者です。
ノストラダムスの予言は、生前からよく当たると定評があった。
彼の予言が的中した例としては、このフランス国王アンリ2世の話がよく知られています。
ノストラダムスは、予言詩『諸世紀』の中で、『1対1の試合で、若いライオンが年老いた人の目を突き刺す』という予言をしていたのです。
そして1559年、アンリ2世は王の親衛隊長で、屈強(くっきょう)な青年であるモンゴメリ伯に、馬上の槍(やり)試合を申しつけます。
アンリ2世は頑強で大きな体をしていたので、自分の体力を過信していた。
「よいかモンゴメリ伯、遠慮なくかかってこい!」
「望むところです、国王様。手加減しませぬぞ」
しかし不覚にもアンリ2世は、モンゴメリ伯の槍を目に受けてしまった。
「うわーっ、目をやられた!」
目を槍でつかれた国王アンリ2世は、そのまま馬上から転げ落ちてしまい、この事故により亡くなります。
予言は見事に的中した
モンゴメリ伯は、ライオンの異名をとる歴戦の勇者であった。
「1対1の試合で、若いライオンが年老いた人の目を突き刺す」
ノストラダムスの予言は、見事に的中したのでした。
この事件から、ノストラダムスの予言は当たると有名になった。
逃れられない運命とは?
不慮の死を迎えた、国王アンリ2世だったが、じつは王妃であるカトリーヌ・ド・メディシスも、死の予言をされていたことがわっています。
カトリーヌ王妃は、イタリアの名門メディチ家に生まれ、絶世の美女と賞賛されてフランス国王に嫁いだ女性です。
じつは、このカトリーヌ王妃にも、恐ろしい死の予言がされていたのでした。
「カトリーヌ王妃は、サン・ジェルマンの近くで死ぬ」という、不吉な予言です。
この予言の出所は、まったくの不明だった。
しかし、カトリーヌ王妃も恐れた予言であることから、たぶんノストラダムスの言葉だったのでは。
ちょうどこのころフランス王室では、パリ西方のサン・ジェルマン地区に新たな宮殿を建造している最中だった。
カトリーヌ王妃は家来から、この予言を知らせれて激怒した。
「なんですって!この私がサン・ジェルマンの近くで死ぬですって?いったい誰がそのような噂を流したのか」
「さあ、わかりませぬ」
「まさか、あのノストラダムスではないのか?」
「わかりませぬ。しかし王妃様、これは単なる噂にすぎませぬ」
しかしカトリーヌは、このサン・ジェルマンの近くで死ぬという、不吉な予言を信じるようになった。
なにしろ夫のアンリ2世も、死の予言の通りに亡くなっているのだ。
やがてサン・ジェルマンの宮殿は完成した。
しかしカトリーヌは不吉な予言を恐れて、ついに宮殿に足を踏み入れることはなかったそうだ。
「もしも本当にサン・ジェルマンの近くで死ぬというのならば、この私がサン・ジェルマン宮殿に近づかなければいいのだわ」
こうしてカトリーヌは予言を恐れて、サン・ジェルマンの宮殿を避(さ)けたことで、死なずにすんだ。
「よかったわ、これで長生きができるわ!」
カトリーヌ王妃はこう言って安心した。
その後カトリーヌ王妃は、我が子のシャルル9世が王位に就(つ)くと、今度は摂政(せっしょう)として権勢(けんせい)を振るうようになった。
カトリーヌ王妃の虐殺事件
このころフランスでは、プロテスタント*1の台頭(たいとう)*2により、カトリックとの宗教戦争(ユグノー戦争)*3が起きていた。
カトリーヌ王妃はカトリック派と手を組み、1572年8月にプロテスタントの首領コリニー伯をはじめとする、大勢のプロテスタントの指導者たちを皆殺しにしたのだった。
この惨劇は後に「サン・バルテルミの虐殺(ぎゃくさつ)」として、フランス史上に刻まれる虐殺事件となった。
そしてこの事件で、カトリーヌは虐殺を企(くわだ)てた張本人とされて、フランスの歴史に名前を汚すことになったのだ。
カトリーヌは、死の予言を信じて、サン・ジェルマンの宮殿を避けたことで、70歳近くまで長生きすることができた。
「私は予言を守ったおかげで、こうして長生きができたわ」
こうして彼女は、晩年をブロアの町で過ごした。
1589年、ついにカトリーヌはこの世を去った。
70歳近い年だったので、天寿を全うしたのかもしれません。
しかし驚くべきことに、あの死の予言は的中していたのだった。
なぜなら、カトリーヌが晩年を暮らしていたブロアの町の教会には「サン・ド・サン・ジェルマン」という名の高僧がいたのだ。
当然ながらその高僧は、彼女の葬儀にも立ち会っていたはず。
まさにカトリーヌは「サン・ジェルマンの近くで死ぬ」という予言通りに、皮肉にも本当にサン・ジェルマンという人物の近くで亡くなったのだった。
カトリーヌ王妃は残虐行為で名を残した悪女!悲惨な幼少期と生涯!
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最後に
予言は、ことばの解釈のしかたによって、内容が変わってくる。
あくまでも予言であって、占いのように、すべてが当たらないでしょうね。
人生の道しるべとして考えればいいのではないでしょうか。
今日も読んでくれてありがとうございました。