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日本の3大ピラミッド!黒又山・葦嶽山 (あしたけやま)・大石神ピラミッドの謎!

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もりもりです。

ピラミッドというと、誰しもがエジプトのピラミッドをすぐに思い浮かべるでしょう。

だが日本にも、謎に包まれた3大ピラミッドがあったのです。

その場所は、秋田、青森、広島。

黒又山・葦嶽山 (あしたけやま)・大石神ピラミッドです。

どんなピラミッドなのでしょうか。

・黒又山(くろまたやま/通称クロマンタ)

・葦嶽山 (あしたけやま)

・大石神ピラミッド

について調べてみました。

最後まで読んでくださいね。

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黒又山(くろまたやま/通称クロマンタ)

秋田県鹿角市に、黒又山(くろまたやま/通称クロマンタ)と呼ばれる山がある。

クロマンタとは、アイヌの言葉で「神の山」を意味する。

 

『(クロ人でない者)=神 )、(マクタ= 、(キシタ=)』左の3つをあわせると『クロマクタキシタ』となります。

つまり、神野山(かみのやま)です。

 

それが、なまってクロマンタになったと言われています。

 

黒又山は、標高280メートルの山で、きれいな三角錐(さんかくすい)の形をしている。

山頂には神社があり、その下には巨大な岩があります。

つまり、古代の祭祀状だったのではないか。

 

そして山頂から少し下がったところに、1辺10メートルほどの空洞がある。

自然の山に空洞とは不思議です。

 

この空洞の発見で、黒又山は人の手によって人工的に作られたなものだといわれている。

 

この空洞には、石棺(せっかん)*1のようなものが収められている。

 

この、黒又山を調査するために、発掘作業にたずさわった調査隊メンバーのうち 3人が死亡、8人が病気やけがに見舞われたという。

このようなことがあって、調査は中止となります。

 

環太平洋学会による調査で、縄文時代などの祭祀用土器が多数発見された。

またレーダー調査によってテラス状の人工構造物である可能性も指摘されている。

 

黒又山にあるのはピラミッドだけではなかった

黒又山付近には、『大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)』*2が存在する。

 ※環状列石とは、石を環状に配置したもので、古代の遺跡と言われている。有名なものには、イギリスのストーンヘンジなどがある。

 

エジプトのピラミッドの周辺では、 UFOの目撃談は多いが、黒又山付近においても、UFOの目撃情報が多い。 

ピラミッド構造が隠されている

 レーダーによる地質学調査では、山体は溶岩が盛りあがってできた自然の山であることが判明している。

ただ、斜面には7段から10段ほどのテラス状の遺構があり、これは張り出し部分で幅約10メートル、高さ2〜3メートルもある。

 

さらに山の表面には、小さな礫がびっしりと貼られていたこともわかっている。  

こうしたことから黒又山は、自然の山の斜面にテラスを設け、さらに石を貼った『階段式ピラミッド』である可能性がある。  

 

また、山頂は平らに整えられていて、本宮神社が鎮座している。

平成4年に行われた調査では、社殿の真下に巨大な岩が埋められていることが判明した。

さらに頂上から少し下った場所では、地下10メートルほどのところに南・西・北の三面を壁で囲まれた一辺が10メートルほどの空洞も見つかっている。

 

葦嶽山 (あしたけやま)

 葦嶽山(あしたけやま)は、広島県庄原市の東部にある標高815メートルの山。

中腹部から山頂付近にかけ人工的に積み上げたようにも見える岩の形跡がある。

葦嶽山は、昔から『神武天皇陵』と言い伝えられ、不思議なことにどの方向から見ても三角形に見える。

その神秘的な山容と巨石群は、古代遺跡の謎とされています。

 

1934年にピラミッド研究家の酒井勝軍8さかい かつとき)が、現地を訪れて巨石群や山を調査し、葦嶽山は世界最古のピラミッド本殿で、北側の鬼叫山が拝殿だと発表をしたのだ。

 

本殿を拝むための拝殿には巨石群が設置され、様々な形や役割を持った巨石を見ることができる。

中でも神武岩(屏風岩)は、大正の初期に神武天皇の財宝が埋められているという噂が流れたために大勢の人々が押し掛け、石柱をなぎ倒し宝を探しまわったことで、今ではしっかりと立っている柱は一本しかない。

 

さらに、巨石群の中のひとつ「鏡岩」では、かつて空洞となっている穴に光玉がはめ込まれ光が鏡岩に反射していたとも伝えられ、一種の光通信装置だったのではないかと考えられている。

大石神ピラミッド

青森県の新郷村の大石神ピラミッド。

大石神ピラミッドは、黒又山(くろまたやま)や葦嶽山(あしたけやま)と違って、山自体がピラミッドではない。

山の中に小さなピラミッドがいくつも点在しているのだ。

 

しかし、鏡石、太陽石、方位石など、ピラミッド周辺にあるようなものは、ほとんどない。

 

さらに、この新郷村には、世界一のベストセラーである、「新約聖書」の主人公である「キリスト」の墓が存在している。

昭和10年に竹内古文書から発見され、竹内氏自らが、この村を訪れキリストの墓を発見した。

 

なぜ日本にキリストの墓が存在したのか?

その理由は、「ゴルゴダの丘で磷になったキリストが、実は密かに日本に渡っていた」という仮説です。

 

なぜキリストがいたのがわかったのか?

・戸来(へらい/かつて青森県にあった村の名)はヘブライから来るという説

・子供を初めて野外に出す時には額に墨で十字を描く

・父親を「ダダ」、母親を「ガガ」とヘブライ語と同じ呼び方をする

これらの中には、無理矢理、キリストと結びつけるようなものもあるようですけど。

酒井勝軍とはどのような人物なのか?

酒井勝軍(さかい かつとき/かついさ、1874年3月15日 - 1940年7月6日)は独自のキリスト教伝道者、日ユ同祖論者、オカルティスト、「日本のピラミッド」発見者です。

 

・明治7(1874)年に山形県で生まれる

・14歳で洗礼を受けキリスト教徒になる

・東北学院を卒業後に渡米し、のちに得意の語学力を買われ、日本政府からパレスチナやエジプトに派遣される 

 

酒井勝軍は、もともとユダヤと日本のつながりに強い興味を抱いていました。

そして壮大なエジプトのピラミッドを目にし、ピラミッドの起源は日本にあると主張しはじめたのです。

 

実際、酒井勝軍はこのようにいっています。

「ピラミッドは元来、天地神明、モット的確に言へば天照日神を祭祀する神殿であるから人跡の在らん限り、世界何れの所にも見受けられる筈のものであるが、ピラミッドといふとエヂプトに限られ、亦ギザに在る物に限られたやうに今日まで誤解されて居ったのは、一つは旅行者の眼に最も触れ易い所にあるためで、モ一つは其規模が如何にも雄大であるためであった」

 

 日本にピラミッドがないとされていた理由は、あまりにも目に触れやすいところにあり、しかも規模が雄大すぎたことにあるというのです。  

 

そうなんですね、日本各地にある「自然の山」がピラミッドだと主張したのです。

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最後に

 日本にピラミッドがあったなんて、すごい発見です。

それもエジプトのピラミッドよりも古い、最古のピラミッド。

でも、なんのために作られたか。

神秘にみちたピラミッドなのです。

最後まで読んでくれてありがとございました。

 

*1:サルコファギ sarcophagusともいう。死者を埋葬する石製の棺。古代ギリシア・ローマでは,40日間,死体が腐敗して消滅するまで石棺に入れておいたと伝えられるが,死者を石製やテラコッタなどの棺に入れて埋葬することは,すでにエジプト新王国のトゥトアンクアメンに先例があり,身分の高い人物などを手厚く葬る方法であったのであろう。棺蓋や四周に彫刻や絵画のあるものも多い。日本でも弥生時代に箱形石棺が,古墳時代に割竹形,舟形,家形,長持形などの石棺が用いられた。コトババンク

*2:(おおゆかんじょうれっせき)は、秋田県鹿角市十和田大湯にある縄文時代後期の大型の配石遺跡。国の特別史跡に指定されている。環状石籬(かんじょうせきり)やストーンサークルとも呼ばれる。