もりもりの神秘情報

世にも不思議なことをお教えしますね。

虫の知らせは本当にあるのか?この不思議な現象を科学で解明してみよう!

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もりもりです。

世の中には科学では解明できない不思議なことがたくさんあります。

虫の知らせもその中のひとつです。

虫の知らせはいろんな方法のお告げがあります。

たとえば、不吉な夢などです。

ほかにも

・急に予定がキャンセルになった
・いつもの電車に乗り遅れて事故から逃れた
・親しい人が息を引取りる前に夢に出てきた
・なんだか、いやな予感がしてキャンセルして災難にあわずにすんだ

など多くの虫の知らせの事例があります。

はたして、第六感ともいわれる、虫の知らせは本当にあるのでしょうか?

そんな不思議なできごとを科学的に解明をしてみますね。

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虫の知らせの意味

虫の知らせとは、人間に本来備わっているといわれている、第六感(テレパシー・予知能力・透視能力・念力など)により、不吉なこと、良くないことなどを事前に感じ取ることです。

科学の発達により、五感「視覚」、「聴覚」、「嗅覚」、「味覚」、「触覚」だけで生きていけるようになり、第六感という能力がなくなったのではないでしょうか。

虫の知らせには、夢のお告げ、目に見える、いやな予感がするなど、いろんな感じ取り方があります。

虫の知らせの由来

では虫の知らせという言葉は、どこから来たのでしょうか?

有力なのは中国から伝わったという説ですが、日本で生まれたという説もあります。

どちらが正解なのかははっきりはしていないようです。

それでは、中国と日本の両方の説を見てみましょう。

中国説

道教における『3匹の虫』

道教では、人の体内には生まれた時から3匹の虫がすみついていて、その人の悪事を監視ししているといわれています。

そして、その人の悪事を巻物に記して、60日ごとにめぐってくる庚申(こうしん)*1と呼ばれる日に、天帝という神様に報告しているんだとか。

その3匹の虫とは三尸と呼ばれています。

頭の中の脳にいるとされる道士の姿をしている上尸

腸内にいるとされている中尸

足にいるとされている牛の頭を持ち人の足を持つ下尸

日本説

江戸時代の『9匹の虫』

江戸時代には、人間の体内には9匹の虫がすみついているといわれていました。

虫の数に違いはあるけど、虫が体内にすみついているのは、中国の道教に似ています。

虫の行動に違いがあります。

日本では虫は監視するのではなく、コントロールすることで、意識にも影響を及ぼしているという説です。

目に見えない、もしくは耳で聴こえない、不思議な予感や現象を、体内にいる虫のしわざとしたのです。

生きている虫の仕業にしたことにより、この言葉が広まったといわれています。

虫の知らせの事例

 

虫の知らせを科学的に解明してみると

関連性の錯覚が原因では

・身内の親しい人のことを考えてたら、その人に不幸があった。

・ある人の夢を見たら、その人が亡くなったという連絡がきた。

このように虫の知らせとは、おもによくないことが起こったときに使われる言葉ですよね。

 

誰でもが、一生のうちに一度くらいは、このように不思議ともいえるな現象を体験すると思います。

すると、「人間には不思議な能力がある」のではないかと考えます。

たとえば、第六感である、予知能力です。

このような能力が人間にあると考えなければ、虫の知らせのような現象は考えられないといわけです。

 

しかし、本当にそうだろうか?

霊の存在とかUFOを信じない人でも、虫の知らせについては信じる人が多いようです。

 

ウィスコンシン大学のチャップマン博士によれば、人間は実際にはまったくかかわりないか、少ししか関連がないことにでも強い相関関係を感じてしまう傾向があるようです。

 

このように関連性を感じてしまうことを、「関連性の錯誤」と呼びます。

たとえば、こんなことがあったとしましょう。

なんとなく、Aさんのことを考えていたらちょうどそのとき、Aさんから電話が、かかってきました。

このような場合、それは偶然ではなくて、何かの関連性があると考えてしまう。

 

この場合、Aさんのことを考えているときに、電話がかかってこなかった場合のことは考えに入れていない。

 

たぶん、かかってこなかったというほうが圧倒的に多いはずです。

 

しかし、そのようなケースは印象に残らず、記憶にも残らないのです。

強烈な印象を残すのは、偶然電話がかかってきたケースの場合だけです。

また、逆のこともいえます。

Aさんのことを考えていなかったのに電話がかかってきたケースです。

 

このようなケースを計算に入れると、その人のことを考えることと、電話がかかってきたこととはほとんど関連性がないことがわかります。

 

それにもかかわらず、偶然電話がかかってきたことのほうが記憶に残るため、「その人のことを考える➡電話がかかってくる」という関連があるように感じてしまうのです。

話は誇張される

さらに、私たちには、そのような不思議な偶然があってほしいという隠れた願望があると考えられます。

たしかに、世の中には不思議なことがあった方がおもしろいでしょう。

 

それに、どんな話でもですが、話というのは何度も繰り返すうちに尾びれがついて自分でも気づかないうちに大げさな話になりやすいものです。

なので、「Aさんのことを考えていると必ず電話がかかってくる」と考えてしまうのです。

夢のお告げ

夢のお告げに関しても同じことがいえます。

Bさんの夢を見たちょうどその日に、Bさんが亡くなった、というような場合です。

 

Bさんの夢を見たのは、その日だけではなくて、なんどもBさんの夢をみていたのかもしれません。

 

ましてや、夢は起きた瞬間に忘れやすいものです。

そうしたなかで、たまたま夢を見た日にBさんが亡くなったということも、それほど不思議とはいえない。

 

しかし、そのようなケースは印象に残りやすい。

 

まして、人間にとって一度しかない死にまつわる話です。

強烈な記憶にならざるをえない。

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最後に

この世には科学で解明されない、不思議なことも多いです。
たとえば、死後の世界。
人間は死ぬとどうなるのか?
どうとらえるかは、人それぞれです。
私は死後の世界をあると信じています。

今日も読んでくれてありがとうございました。

 

*1:庚申は、干支の一つで、干支の組み合わせは60あり、庚申(こうしん)は57番目になります。